2013年10月09日

秩父の誇り



埼玉県秩父地方は、よく行くフィールド。

手ごろな自然があって、

川や山など、野遊びに最適な場所です。

都内に近くて、自然があっていいとこだなー。

ぐらいの気もちでいたんですが、

先週末、東秩父の粥新田峠に迷い込んだことで、

私の中の「秩父観」が大きく変化したのです。

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林道の途中で見た標識によると、

「粥新田峠」は「秩父事件」に関係する場所とのこと。

ん? 「秩父事件」ってなに? 何? なぁに?



ちょっとwikiとかで調べてみたら、すごいことがわかっちゃった。

「日本近代史における、最大の自由民権運動」だそうです。


ん?編集室のブログにはない、社会派なことば。

よくわかりません。

ということで、いきさつを思いっきりかいつまんで(すみません)、

しごく簡単に事件を追ってみましょう(間違いがあったらごめんなさい)。



今からさかのぼること130年ほど。

秩父事件は明治17年(1884)に起きている。

そのころの日本では、人びとのくらしは貧しく、

近代化を急ぐ明治政府の圧政が強いられていて、

人権なんて思想は、ほぼなかったという。


そんななか、人びとの間からは当然のように「自由民権運動」が起こり、

その波は、秩父地方にもおよんだ。


当時の秩父地方では養蚕が盛んで、そこで作られた良質な生糸は

ヨーロッパにも輸出されるほど。

ところが不況が訪れると、農民は搾取され、

政府に搾取改善の嘆願をしても

つっぱねられるばかりか、さらに圧迫される。

そうしてついに、農民たちは武器を手にして立ち上がり、

ときの政府・警察と戦った。



それは、1884年11月1日のこと。

武州秩父郡下吉田の椋神社境内に3000余名の農民が武装蜂起し、

秩父困民党を結成する。

事態に驚いた政府はすぐさま派兵し、武装した農民を襲撃。

(今回迷い込んだ粥新田峠もその激戦地で、130年前の11月5日のこと)

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椋神社にも行きました


困民党は信州まで追撃され、八ヶ岳山麓で壊滅させられる。


この農民発起は長い間「秩父暴徒」とか「秩父暴動」と呼ばれ、

事件関係者の子孫は「犯罪者」扱いされて、

身元を隠して生きねばならず、

事件後逃亡して行方のわからない祖先の調査も

行われないまま近年に至ったという。



しかしその後、事件の全貌が明らかにされると、

「自由民権運動史上、最高の闘争形態」と評され、

「秩父事件」の歴史的評価はまさに180度転換した。

生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされ、

まさに想像を絶する窮状からの脱出を余儀なくされた事件だったんですね。





今のこの国の形は、その時代に生きた末端の農民たちの命をかけた蜂起が

つくったものなんだと知りました。・・・しみじみ・・・・・・・・・。  

発起参加者は最盛期で8000人とも1万人ともいわれているそうです。


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困民軍と警官隊の進路図



秩父事件を題材に、NHK大河ドラマ『獅子の時代』(1980年)や、

映画『草の乱』(神山征二郎監督、2004年)がつくられました。

今度、見てみなくっちゃ。

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粥新田峠に建立された地蔵尊。
映画『草の乱』で使われなかったフィルムが埋葬されています


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地蔵尊建立記念碑

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地蔵さまにお花を供えました



過去の人びとの志に思いを馳せた週末でした。

長くなってしまってあしからず・・・。

もっと知りたい方は、コチラとかコチラ


あきざる








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posted by 染井六 at 20:47| 東京 ☀| Comment(0) | 史跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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